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【ぜんざいには塩がいる】障害児が与える社会への影響を考える

ぜんざいには塩がいる

 

こんにちは。三杉です。

 

今回は、私が過去に読んだ本「ぜんざいには塩がいる」の紹介をします

この本は、田村一二(いちじ)という障害児教育の専門家が書かれた本です。

40年以上も前に書かれた本ですが、未だに私の記憶に残っている、ステキな本です。

田村さんは、ぜんざいを社会と考えた時、甘味としての砂糖だけでなく、塩も必要。砂糖はマジョリティーの定型発達の人だと考えると、障害児は塩。美味しいぜんざい(つまり成熟した社会)を作るには、甘味だけでなく塩味も必要だよねってお話をされています。

 

美味しいぜんざいとは

成熟した社会とは、なんでしょうか?皆がハッピーで、不安も心配もない世の中が素晴らしいのでしょうか?もちろん、しあわせを感じるのは大切です。日々、安心した明日が訪れないかもしれない…と考える生活は恐ろしいものです。今の日本は、世界でも恵まれている国です。戦争も起きていないし、食べ物が無くて餓死をするような不安を抱えている人も少ないでしょう。ただ、成熟した世の中なのか?と考えると、少し悩みます。

 

先日、ノーベル物理学賞を受賞した、真鍋淑郎(まなべしゅくろう)さんは、「私は調和の中で暮らすことが出来ないものですから、それが日本に帰らない理由。」と述べました。これは日本が抱える同調圧力を意味しています。違いを受け入れず、同じであることが正しいとされる世の中。個性を歌っていながら、同時に反対の動きがある世の中。これを成熟した世の中と言えるのでしょうか。

 

それぞれの個性が大切にされ、お互いの違いを尊重できる。そこに成熟した世の中があるのでしょう。

 

ぜんざいには塩が必要なのは?

ぜんざいに塩が必要なのは、「対比効果」が目的だと考えられています。本来は甘いはずのぜんざいに塩を入れることで、余計に甘味を感じられる。つまり、甘味を引き立たせる為に、入れていると考えられています。スイカに塩を振って、食べていた(今も食べている)人もいるでしょう。恐らく、昔のスイカは今ほど甘くなかったので、より甘さを感じるために、対比効果を狙って塩をかけていたのでしょう。

 

障害児は、甘さを引き立てるだけの存在なのか?

ここで問題となるのは、「じゃあ障害児の存在が、少数派の塩だとして、甘さを引き立てるためにだけ存在しているのか?」といった疑問です。わたしは、そう思いません。3つの理由があります。

 

障害児は、苦手なことがあるだけで劣っている訳ではない

障害を持っている人を、劣った存在として見る傾向があります。しかし、障害は苦手なことがあるだけで、人間的に劣っている訳ではありません。個々の持つ可能性を発揮して生活をしています(発揮しづらい世の中ですが…)。

 

世の中には様々な料理がある

世の中をぜんざいとして捉えれば、甘さを求められるでしょう。ただ、世の中はぜんざいだけじゃなく、たくさんの料理があります。肉野菜炒めだってあるし、カレーだってあります。それぞれの料理の中で活かされる調味料や、量は変わってきます。時には、砂糖が引き立て役になる料理だってあるでしょう。大切なのは、その人が活きやすい(生きやすい)環境であって、個人が変わることではありません。

 

障害を通して学ぶべきことが多い

障害があることで、人は成長をしてきました。「手洗いの洗濯がしんどい。もっと効率的にやれないものか…。」と考えた結果、洗濯機が出来ました。今では、全自動ですべてを完結出来るようにまでなりました。以前は苦労していた洗濯がとても簡単に出来るようになったのも、人が一生懸命障害を乗り越えるために研究したからです。障害を克服したり、時には限界を受け入れたりしながら、人は成長をしてきました。学びを成長のきっかけにしてきたのです。

 

ぜんざいには塩がいるは、多様性を考えるきっかけを与えてくれる

ぜんざいという世界を成熟した世の中として考えた時、障害のある無しだけで語るのは、問題です。違いがあって当然という前提で、物事を進めていくのが大切です。この本は、世の中を成熟させるための問題提起になっています。

 

もし機会があれば、是非手に取って読んでみてください。

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